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  4. 三味線の歴史

三味線の歴史

三味線の歴史

・古代中国から琉球(沖縄)へ

 今は日本の伝統楽器と言われる三味線ですが、そのルーツを辿っていくと紀元前の中国にまで遡ります。
 まず紀元前の中国、秦の時代に存在した「弦鞀(シェンタオ)」という弦楽器が時代と共に変化して行き、13~14世紀頃の明の時代には「三弦(サンシエン)」と呼ばれる楽器になりました。三弦はその名の通り弦が3本あり、胴体部分は蛇皮が貼られている楽器でした。主に歌の伴奏に使われており、単独で演奏されることはあまりなかったようです。
 14世紀末頃にこの三弦が交易によって琉球王国に伝わり、形はほぼそのままに独自に発展していったものが今でもよく知られている「三線」です。三線は15世紀頃より現在に至るまで主に沖縄にて人々に親しまれ続けています。

・三味線の誕生

 その三線が16世紀頃に日本と琉球王国の貿易によって日本に伝わり、そこからおよそ半世紀程の間に改良されて生み出されたのが三味線です。歴史としては500年程であり、日本の伝統楽器という分類の中では最も新しいものの1つになります。
 三味線は三弦や三線と違い、胴体部分は犬や猫の皮が用いられることが多くありました。これは当時の日本では犬や猫の皮が最も入手しやすかったことに起因しています。現存する最古の三味線は1596年頃に豊臣秀吉の命令で作られた「淀」と呼ばれる三味線ですが、この時点で既に形は現在の三味線とほぼ変わりありません。最終的には17世紀頃の江戸時代に現代の三味線と全く変わらない三味線が完成しました。

・三味線の流行と当時の文化

 その後、260年続く江戸時代という平和な世の中を背景に三味線は一気に広まっていきます。初めは都市部の上流階級が嗜むものでしたが、やがては庶民階級、そして地方までにも広がり、独自の発展と遂げました。当時は三味線を弾けるものは異性から人気が出ると言われ、習い事として非常に人気があったとされています。特に女性は三味線などの芸事に秀でると上流階級の家に嫁げる可能性すらもありました。
 また、三味線の文化形成や流行には盲人が大きく貢献していたとされています。三味線の実質的創始者は石村検校(?~1642)と伝えられていますが、この「検校」とは盲官(盲人の役職)の最高位のことです。そもそも日本では鎌倉時代の頃より盲人は楽器を演奏することで生計を立てるという文化がありました。三味線もまた盲人が生活のために演奏することが多くあり、特に盲官として出世するには三味線の技能は非常に重要だったのです。今もなお、諺などで当時の盲人と三味線の関係性の深さを窺い知ることができます。

・三味線の衰退

 その後、三味線は江戸時代後期には外国人により日本で最もポピュラーな楽器と紹介され、19世紀頃の明治時代に全盛期を迎えました。しかしそこからは時代と共にだんだんとその姿を消していくことになります。それでも1970年頃には年間で18000棹程が製造されていましたが、2017年になると年間で3400棹程度しか製造されなくなってしまいます。その主な要因はギターなどの洋楽器及び洋楽の流行や、原材料の調達の難しさとそれによる価格の上昇などが挙げられます。

・SHAMIKOの誕生

 「貴重な日本の伝統文化である三味線がこのまま消えていくのはあまりにも惜しい。しかし大きさや値段の高さ、猫や犬の皮の使用などの多くの問題が人々を三味線から遠ざけている。ではどうすればいいだろうか?」
 私たちはそう考え、試行錯誤を重ねて考案したものが「SHAMIKO」です。今までの三味線よりもコンパクトで、価格もとても安くなっています。何より動物の皮ではなく特殊な紙を使用していることが大きな違いです。私たちは、この「SHAMIKO」で三味線文化が現代において再び広まることを目指しています。
 日本のみならず世界中の人々に「SHAMIKO」を手に取ってもらい、皆さんに思い思いの音を奏でて頂きたいと願っています。